1年以内に一億円を稼ぐ必要があるならば、あなたは何をしますか?#稼ぐ #億

最も効率的に稼ぐには?

「確率的に最も高い方法」を選択した方が成功は簡単であり、コストに対するパフォーマンスは良くなる。

確かに、親が金持ちだから、その子供も金持ちというケースはある。ただ、多くの人が事業を起こすことにより、自分の力で金持ちになっている。この方法が金持ちになる手段としては最も「簡単」と言える。金持ちの子供は決して裕福のまま過ごすわけではなく、努力しなければ維持することは難しい。

もちろん、資金力のない人が大金、具体的には、1億円稼ぐことは簡単なことではない。難易度を下げるために、事業の自動化だったり、金持ちの多くいる環境に自分の身を置く必要性が出てくるだろう。

お金持ちの基準 一億円

お金持ちの基準を具体的な数字であげてもらった場合、「一億円」という額を答える人が多いだろう。お金がほしいと思う時も、日本人なら具体的な額として百万円、一億円という金額を思い浮かべるのでは無いだろうか?

百万円という額ならほとんどの人は1年で稼いでいるし、人によっては月にそのぐらい稼いでいる人もいる。ただ、一億円となるとそうはいかず、人生という長期的なスパンでしか、この額を手にすることはないと考える人が多い。

一億円あれば年に五百万円使っても20年持つ金額であり、日本でも老後の蓄えとして十分な額であると思う。そんな額の金融資産を一度でも保有する期間を作るのは普通の人は無理だと考えている。ただ、現実には元々金持ちでなくとも、一億円という収益をあげることが出来るようになった人は存在している。

一般人、ここでいう一般人とは資金や知名度、お金持ちが周りにいない人の事を指すが、彼、彼女が一億円稼ぐための現実的な方法としてどのようなものがあるか?

まずは数字上の話から述べて、そこから更に詳しく説明していきたいと思う。

単純に数字で考えた場合、一億円を稼ぐためには

1.一円の利益を1億回出す

2.十円の利益を1000万回出す

3.百円の利益を100万回出す

4.千円の利益を10万回出す

5.一万円の利益を1万回出す

6.十万円の利益を1000回出す

7.百万円の利益を100回出す

8.一千万円の利益を10回出す

9.一億円の利益を1回出す

以上の方法がある。

回数というのは作業の数になる。下に行けば行くほど一回一回の稼げる額が増えるため作業は少なくなる。ただ、額が大きくなると、その額を動かせる状況を作り出す事は難しくなるだろう。

一億円を一度に稼ぐ事はお金持ちにアクセスしない限りは難しい。一般人が簡単に動かせるだけの億単位のお金を持っているわけがなく、この額を動かせる環境にもない。詐欺師としてターゲットに近づくことすら難しく、宝くじが当たったり強盗等でお金を無理やり動かさない限りは1度で一億円というのは現実的ではない。

一千万円の利益に関しては、一億円の利益を1度に出すよりは簡単だが、それでもそれなりの投資資金が必要なことから敷居は高い。ただ、1回で百万円、十万円程度となると、日本人であれば多くの人が動かす事の出来る額になり、そこまで難しくは無くなって来る。例えば、車の取引でも数百万円程度は動くため、こうした高額商品売買の手数料でも十万円程度は稼げるだろう。

資金力の問題で高額商品が難しい場合は、

1.一円の利益を1億回出す

2.十円の利益を1000万回出す

3.百円の利益を100万回出す

4.千円の利益を10万回出す

5.一万円の利益を1万回出す

以上のように、少ない利益を大量に出していく必要がある。回数というのは作業の数となるが、この作業に関しては自動化する事も出来る。

一般人が、少ない資金から成功しているビジネスは、現状こうした自動化により、少ない利益を大量に出すことで達成したものが多い。自動化はインターネットを出現により、物の売買をはじめ多くの分野で進んでいる。

年収1億円を達成している人たちの習慣・思考

人への関心:誰と、どのくらいの時間会っているかを把握しているか?

  • 情報はいうまでもなく、金もまた人についてくることを知っている。
  • 大切な人に会うための時間は、ほかの予定を変えてでも捻出する。
  • 待ち合わせの場所には、常に約束の時間より余裕をもって到着する。
  • 勉強会や交流会への参加は、会の内容より、参加者の顔ぶれで決める。
  • 世話になった人へは、お礼のメール・手紙や品を必ず送る。

1人になる時間:何もしない空白の1日を、意識的に設けているか?

  • 予定をぎっしり詰めるのではなく、意図的に何もしない日や時間帯を設けている。
  • 1年のどこかで意識的に、連続して休暇をとったり、長期のバカンスに行く。
  • 決められた休日に休むのでなく、いつ集中し、休むかは自分がコントロールする。
  • 働くときは徹底して働き、遊ぶときは徹底して時間と金を使って遊ぶ。
  • 課題が目の前にあるとき、すぐに行動するのではなく、まずは考える時間をとる。

体験を買う:お金は、体験を買うためにあることを知っているか?

  • 目に見えるもの、形に残るものだけでなく、むしろ形に残らないものに金を使う。
  • レストランへ行く、ホテルに泊まるときなどは、ときに思い切ってランクを上げる。
  • 飛行機は常にビジネスに乗るのでなく、破格に安いエコノミーがあれば使ってみる。
  • 必要と思ったら、いまの自分にとっては大金でも、思い切って払う決断ができる。
  • 仕事で大切なのは、金を貯めることより、信頼を貯めることだと考える

ユダヤの知恵  タルムード

「ユダヤ人は世界で起こる不幸を一番先に予知し、一番最後に幸福を知る人々である」

 ユダヤ人は、よくこのように言われる。これは、ユダヤ人がいかに物事を客観的に見て状況判断をしているか、その独特な物の見方をよく表した言葉だ。例えば、日本人は、“物事は「多面的」に考えなくてはならない”などと言っているが、日本人の言う「多面的」とは同じものを違う角度から見るということに過ぎない。つまり、見る自分が色々な角度に動くだけだ。主客が常に同じだ。自分のいる次元は変わらない。
 一方、ユダヤ人の言う二方向というのは、自分が見る対象が逆に自分を見るとしたらどう見えるか、という二方向だ。主客転倒する。別次元だ。
 例えば、「リンゴが木から落ちる」のを見て秋の寂しさを感じ、「古リンゴポトリと落ちる秋の空」などと俳句を考えるとしたら、それは日本人的発想、「何故リンゴは落ちるのか」と考えたとしたら、それはイギリス人的発想で(ニュートンはイギリス人)、「何故リンゴは天空に吸い上げられずに地球の方に動くのだ?」と考えたとしたら、それは非常にユダヤ的発想だ。日本人もイギリス人も地上に自分を置いている。ユダヤ人は天空と地球を手のひらに置いて別次元から見るのだ。
 太陽が東から出て西に沈んでいくのを見て、太陽が天空を動いているのは何故かと考えたとしたら、それは、コペルニクス的発想で、太陽と地球両方を自分の手のひらに取ったらどう見えるのか、と考えるのがユダヤ的発想だ。
 世界で起こる災害、戦争、経済危機など不幸をいち早く察知して準備し、世界が好景気で幸福なときには、落とし穴に用心する。つまり、ユダヤ人というのは常に人とは別の角度、別の立場から物事を見ているということである。この表現をビジネスに当てはめて見ると非常に分かりやすい。ユダヤ人は、常に世の中の流れとは逆の発想でビジネスに取り組む。日本の小学校で、生徒が「先生、何故一週間は七日なんですか?」と質問し、しつこく食い下がったら、多分日本の先生は、その子を授業の進行の邪魔と考え相手にはしないだろう。しかし、日本以外では、そんな子を大切にする環境の国が多い。例えば、望遠鏡を渡すと逆から覗き込んで面白がるような子がユダヤ人なのである。
 つまり、ユダヤ人というのは常に人とは別の角度、別の立場から物事を見ているということである。この表現をビジネスに当てはめてみると非常にわかりやすい。ユダヤ人は、常に世の中の流れとは逆の発想でビジネスに取り組む。
 数十年おきに世界を襲う大不況や経済危機の予兆をいち早く感じ取り、ビジネスに被害が及ばないうちにさっさと撤退するか、路線を変える。世の中が好況に踊っているときには、皆と一緒に浮かれることなく、手を広げすぎるリスクを避け、慎重に行動する。これがユダヤ式のリスク管理であり、また「お金儲け」の鉄則でもある。
 この考え方はビジネスに限ったことではない。物事には何にでもリスクがあるとユダヤ人は考える。その意味で言えば、ユダヤ人には「想定外」という言葉はない。どんな災難や危機も「人生には起こり得ること」と受け止めて、それに備える。だから、いざというとき慌てない。パニックを起こさない。ユダヤ人にとって、こうした考え方は「呼吸するように身についた習慣」なのである。
 ではユダヤ人はどのようにしてその習慣を身に着けてきたのか。その背景には、「聖書に書かれているような想定外の事態」をビブリカル(聖書的)というほど想定外の出来事に満ち満ちたヘブライ聖書を常に読んでいることの他に、数千年に及ぶユダヤ人迫害の歴史がある。国土を持たないユダヤ人はさまざまな国で、人々の偏見にさらされ、いわれなき罪に問われて迫害を受けてきた。二〇世紀には、ヒトラーとナチス・ドイツによって引き起こされたホロコーストで六〇〇万人ものユダヤ人が虐殺された。
 そうした悲劇の歴史の中でユダヤ人が、困難を切り抜け、生き延びて来られたのは、ヘブライ聖書とタルムードという智慧の安全律があったからだ。どんな困難に巡り合っても、ユダヤ人は常にヘブライ聖書とタルムードの律法に身の処し方、決断のアドバイスを求めてきた。いつもその判断が正しく、安全であるからだ。
 生きるために、日々の幸福を得るために、ユダヤの人々は常にヘブライ聖書とタルムードを勉強している。この二つはユダヤ人の人生の羅針盤ともいえる。日本ではハウツー本がたくさん出版されているが、ヘブライ聖書とタルムードは昨日今日書かれた本ではない。特に聖書は数千年も前に書かれたのに今でも世界のベストセラー第一位であり続けている。イスラエルのクイズ番組で、一等賞にタルムード全三〇巻が当たると最も喜ばれる。
 ヘブライ聖書は約三〇〇〇年前(ユダヤ民族は五〇〇〇年前に誕生したといわれる)、タルムードは約一五〇〇年前に、今の形ができたといわれている。ヘブライ聖書は、モーゼ五書、別名「トーラー」と呼ばれる「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の書物が基本になっている。そして、口伝律法とヘブライ学者の議論を書き留めた議論集が、「タルムード」である。
 タルムードとは、古代ヘブライ語で「研究」「学習」を意味する言葉。盛り込まれている事柄は、日常生活の慣習や医学、衛生、子育て、紛争解決、家庭から恋愛、セックスにいたるまで、あらゆる事柄についての色々な規範とそれに関する詳細な議論の全てを記してある。実に多岐にわたる。四〇〇ページからなる書物が三〇冊以上ある膨大な量で、今のイラクのバグダットの地がバビロニアと言われていた時代に中心的に書かれたので、バビロニア・タルムードと呼ばれる。ユダヤ人はこれを毎日少しずつ読んで勉強するのである。議論集としては世界最古で、かつ、世界最大といえる。ユダヤ人は世界で最も議論好きな民族と言われる所以である。
 そして、このタルムードの議論を幼い子から大人まで理解し納得できるように、ユダヤには膨大な説話が残されている。昔からユダヤ人は「文字の民」と言われ、記録を大切にする民族だったが、こうした説話も各地で書き継がれ、語り継がれて、人生をよりよく生きる知恵として残してきた。
 ユダヤの母親は子どもが幼いうちから、ヘブライ聖書やタルムードの教えにまつわる説話を繰り返し読み聞かせ、語って聞かせる。そして説話に登場した人間や動物たちの取った行動を、「あなたならどうする?」と問いかける。子どもが答えると「それはどうして?」とまた質問する。
 こうした説話で繰り返し語られるのは、人生で起こりうるさまざまなトラブルである。そこで、子どもは母親から「あなたがこんな目にあったらどうする?」と、問いかけられるのである。どうすればその困難を無事切り抜けられるのか、子どもは必死に考えて答えを見つけようとする。そして「僕ならこうする」「私ならこんな方法を取る」と、工夫やアイデアを子どもの方から導き出させるのである。
 こうしてユダヤの子どもたちは、母親から語られる説話や小話の中で、自然な形で「リスク・コントロール」や「リスク分散」ということを覚えていく。ユダヤ人でビジネスの成功者が多いのは、幼い頃からビジネスの基盤となる「リスク」という概念を、さまざまな視点から捉える訓練を積んでいるからだと思う。
 例えばユダヤ人は食事の時によく議論をする。
 「神は全知全能である。よってご自身が動かすことが出来ないほどの岩を作ることが出来る。だから神は全知全能じゃない。」この三段論法が何故変なのかということを真剣になって議論するのだ。
 ヘブライ聖書やタルムードにまつわる膨大な説話は、人生に起こり得るあらゆる問題を知り、柔軟に対処する術を身につけるための尽きせぬ知恵の宝庫である。ユダヤ人は幼い頃からこの知恵の宝庫に学び、考え、自由奔放に思考を巡らせ、困難を切り抜けてきた。災害や経済危機など、今、世界に起きているさまざまな不穏な出来事を、世界のどの民族より早くユダヤ人たちは敏感に察知し、あるいは「想定」し、それに備えてきた。
 重要なのは、この知恵が決してユダヤ人だけに通用するものではなく、人類全体が生き残るための最善の方法を示唆しているということだ。つまり、ユダヤの教えは、私たち人間が悩んだり苦労したりするのを見越して、普通ではない全く別の角度からの視点、視座を与え、それを解決するヒントを与える現代にも通用するバイブルだと言っていい。説話の内容は、数千年経った今でも色褪せることなく、私たちに真実を語りかけてくる。
 マネー、ビジネス、人生に降りかかるさまざまな困難の乗り越え方など、今の現代人にこそ学部必要がある。
 ぜひ、ユダヤ人が五〇〇〇年もの間語り継いできた説話から、より良い人生を送るヒントを見つけて欲しい。

ユダヤ教が教える 実行集

人をほめること

 人に認められほめられることほどその人に幸福感を与えることはない。されば、人にほめられることを単に待つのではなく、自分から人をほめてみよう。そうすれば、少なくともその人に幸福感を与えることができる。ユダヤでは、人に幸福感を与えることは自分に幸福感をもたらす一つの善行であると考える。「アレヌ レシャベア」といい、他人をほめることは一種の義務であるとすらいう。
 まずは、あなたにとって一番身近な存在である妻、夫、そして何よりあなたの子どもたちをほめることから始めてみてはどうだろうか。

自分がなぜ生まれて来たか、を考えること

 自分が死んだあと残された人々が自分に対しどう言ってくれることを望むか、ということを考えること。そうしないと、いくら働きずくめで働いても何のために働いているかがわからなくなり、結局不幸感が襲ってくることになる。
 なぜこの世に生まれてきたのか、ということは、人生の目標と違う。
 会社で出世することや、起業して儲ける、いい大学に入ることは、現実的な人生の目標と目的である。しかし、この世に生まれて来た理由とは、まさに画家ゴーギャンの言う「我々はどこから来て、どこに行こうとしているのか?」ということである。失業しても、恋人がいなくても、身なりが貧しくても、どんな人でもこの世に生まれた役割があるはずである。今の不幸を嘆くのではなく、この世での自分の役割とは何なのかを問い続けること。それが人生を切り抜ける力の源となり、幸福感につながっていく。

「善いこと」を毎日習慣として行うこと

 ユダヤ教は、理念理想をどう実現するかの具体論を戒律として持つ宗教である。その一例がMitzvot(ミツボ)というものだ。ミツボとは、身寄りのない老人の世話をするとか、病人を看病するとか、ホームレスの人に小銭を渡すとか食事を提供するとか、色々の善行を実行することである。ミツボを行うことが、自分がこの世に生まれてきた目的の日常的具体化であり、毎日一歩でも近づけ、とユダヤ教では説く。もちろん、最大の善行は、トーラー(モーゼ五書=ヘブライ聖書)の勉強であることは言うまでもない。

喋るよりも聞く

 幸福感は「喋る」よりも「聞く」ことによってもたらされる。ユダヤはシェマの宗教である。シェマとは「聞け」ということ。ユダヤ教では人間に耳が二つあるのに口が一つしかないのは、よく聞くことが幸せをもたらすことだと言われているのである。
 人の話をよく聞くことは、①その人の存在を認めること ②その人に心を開いていること  ③その人を尊重すること、につながる。人の話を聞かないことは、①その人の存在を無視すること ②その人に心を閉ざしていること ③その人を軽視していることになる。傍らにいて自分に話しかける人間を大切に迎えるのか、それとも後者のように冷遇するのか、どちらが自分にとって幸福感をもたらすかはあきらかだ。
 ユダヤ人の友人でパリで猛烈に働いている男がいた。彼はパリでも有名な富豪であったが、結局妻に離婚された。その友人は私に言った。「彼女には、欲しいというものは宝石からバッグまでどんな高価なものでも買ってやった。地中海を旅するクルーズ・ボートも買ってやった。旅行に行きたいと言えば、いつもファーストクラスに乗せてやった。何一つ不自由はさせていない。なぜなのか?」と。私は敢えてコメントは控えたが、彼は、妻に物やお金は与えたが、心を開いて妻の話を聞いてあげることをしなかった。だから妻は彼と一緒にいて幸福感を持てなかったのである。
 話を聞いてくれれば幸福な思いに満たされる。ならば傍らにいる人に幸福感を与えようではないか。そうすれば自分も幸福感(人を幸せにしたという幸福感)を持てる。

魂をあらゆる騒音から遮断する一日を持つこと

 ユダヤでは、強制的に週一回、家族との時間、それも何物にも邪魔されない時間を持つことを戒律としている。その時は、電話も、テレビも、仕事もだめとされている。携帯、eメール、ファクシミリ、電話、コピー、スキャン、グーグル、パワーポイント、プリンター、と我々はテクノロジーに振り回される日常を送っている。私の若い頃はデスク上には電話以外何もなかったが、今よりも充実感があった。すべてのテンポがゆったりとしていたからだ。
 我々は携帯とeメールに支配されている日常から、少なくとも週に一日は解放され、「つれ合い」(つれ合いがいなければ犬や猫、ペットがいなければ“神”)と、ゆったりと語り合う時間が必要だ。幸福感とは、息と同じで「吸って」「吐いて」の両方がないと流れないのである。息をする時に「吸う」だけをやれと言われたら死んでしまう。どこかでゆっくり「吐く」必要がある。息を吐く、これをユダヤ教ではLiberate yourselfと言う。自分自身をあらゆる締め付けからLiberate(解放)してやれということだ。そうすれば、「吸って」「吐いて」が調和し、それが幸福感につながると教えている。 

不運が襲って来ても、その不幸を幸福感の持てる他のものに作り変えられるまで不運とバトルすること

 どんな人間でも一生の間に不幸や不運に見舞われることが絶対にある。交通事故に遭うかもしれない、目の病気で失明するかもしれない、滑ってころんで下半身不随になるかもしれない。そんな時に、どう幸福感につなげていくか?
 ユダヤでは「Transform suffering」と教える。ある夜、天使に襲われ朝まで格闘したという不運を味わったヤコブの話は、不運にどう立ち向かうかのユダヤ人の基本書になっている。ヤコブは襲われても絶対にあきらめずに戦った。Sufferingは受難、苦難、不運、不幸、Transformは作り変えるという意味である。苦難の犠牲者になることを絶対に拒否し、希望の灯りをともせる何か他のものに作り変えるまで戦い続ける、というのがユダヤ人の五〇〇〇年の苦難の歴史から生み出されたウィズダムである。
 ユダヤ人の受難は枚挙に暇(いとま)がない。ホロコーストで六〇〇万人が殺された、古(いにしえ)にはバビロニア帝国に民族ごと拉致された、ローマ軍に完全に神殿を破壊された、ギリシャ軍からはユダヤ教の儀式や祈りを禁止された、十字軍からは虐殺された、中世ではゲットーというじめじめした狭い地区に閉じ込められた、農業も工業も禁止された。しかし、ユダヤ人はこれほどの苦難をTransformして幸福を見出せるものを創り出してきた。
 モーゼの偉大な言葉に「ウバハルタ バ・ハイム」というものがある。「生き抜くのだ。この生をこの命を」という魂の叫びである。ユダヤの乾杯の言葉は「レ・ハイム」という。ハイムとは「この命、この人生、この生、今生きているこの時」という意味だ。
 日本人に、今、この時を力強く生き抜いて欲しいという思いから、本書では、つい日本人への見方が厳しくなってしまう部分も多々あった。しかし、私のメッセージは唯一つである。 日本人の皆よ、苦難の犠牲者(Victim)になってはならない。Transformしていこうではないか。受け止める、乗り越える。耐えることではなく、それを別の光の見えるものに作り変えるまで、不幸と戦い組み伏して行くのである。